ひとりごと


2003年1月19日

8年前

 8年前、大震災が起きた。当時Yasuは医療チームの一員として神戸へ震災後4日後に派遣された。 若干線香の臭いの残る小学校にて5日間活動したことが昨日の如く感じられる。東海地震の危険性が 高まっているという今日この頃であり、もう一度地震について考えてみるのはどうかと思う。 当時、高校の友人の1人がたまたま神戸に住んでいて、地図で住所を確認すると、 あの高速道路が倒壊した現場の数百メートルの所であった。派遣されている時も友人に何度も連絡を とろうと試みたが実際連絡がついたのは震災後10日ぐらいたった時無事であると確認できた。 これも運が良かったとしかいいようのないと感じている。当時思っていたことや、あれから、情報が整理されてきて 報道されているようなことに対して感じている所見があるので論ずるとする。

 まず、自分の命を確保すること、あたり前の話であるが今まで常識と考えられていることは結構危ないことが あるので考えを変えることが必要ではないかと思う。というのは、避難訓練等でよく机の下に隠れるというのが あるが、阪神大震災級の地震では机で一時命が助かったとしても、いつ酸欠になるかわからないし、ましてや、 大火災になったとすると、まだ建物につぶされたほうが苦しみは少ないかもしれない。もう一点は地震保険を 複数かけておかないとと思う。金融不安がいわれているが、阪神大震災ではある程度保険はおりているようであるが、 あの当時と現在では保険会社の体力が違う。一応保険会社は、そのような時の為に保険会社が入る保険があるらしいが どこまで保証があるかといえば疑問に思わざるを得ない。万が一ということは起こるのであって、常日頃から、対策をとっておかなければ ならないと思う。友人の話によれば当時、寄付の分配の見舞金は数万円と聞いている。数万円は確かにありがたい善意のお金 であるが、どれくらい地震の被災者の救いになっているか...。


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