ひとりごと


2003年11月28日

終戦

はじめに、例年の如く、ここ数ヶ月ばかり昇進試験の勉強を続けてきた。ほぼ一般人と比べても遜色のないほど体力は回復してきたのだが、毎朝2時に起きて出勤まで勉強するというのは辛かった。いつもながらこういう時に何かが起こるものである。 実は慢性的な障害である。"腸閉塞..イレウス"が、また起こってしまった。今回は、前回と異なり閉塞状態がなかなかとれず、 消化器のほうの主治医も腸を切り取ることを考えていたようだったが、切る寸前のところで開通し何とか逃げ切った。 でも2週間の入院と入院中に試験のために外出せねばならないのは辛かった。でも昔のことを思うと贅沢な悩みとしか言いようがない。

ところで表題の終戦という言葉について説明をしていかなければならないが、今週水曜の外来で、血液内科の主治医の先生は、 今回のような移植の弊害はこれからも続くと思うが本体の病気のほうは、ほぼ大丈夫でしょうとお墨付きの言葉をいただいた。 聞いた時は、あまり実感がわいてこなかったが時間がたつ毎に、亡くなった友達のこととか、一日中はき続けて苦しんだこととか、 すべてのことを思い出した。

最近は、試験のこととか、仕事のこととか、日常生活が忙しかったせいもあり、正直病気のことを忘れてしまっていた。 しばらくHPの更新もできないでいた。 いろいろなことを反省しなければならないと思った。

こんなことを書いてしまうと問題があるのかもしれないが、前向きなつもりでいても、例えば娘の扶養をかみさんのほうにいれていたとか、パソコンのソフトの名義をかみさんにしていたとか、なんでもかんでも自分の死を前提に物事を進めていたことは事実で、 これからは、それらのことをすべて覆して人生の設計をやりなおしていかなければならないという時期にきているし、いろいろな面で、 元患者が受ける失われた時間による弊害と闘っていかなければならないと痛切に感じた。


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